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| 先週の説教 「許しへの希求、祝福の道」 2011年 6月26日 |
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ヨハネによる福音書8章 1〜12節

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おはようございます。終末はエデンの園で起
こったことを元返し原点に帰る時が来ています。
真のご父母様がヨーロッパに行かれて、宣布
大会に行かれるのはアベルカインをひとつにす
る為です。心と体、兄弟姉妹、家族親族、いろ
んなアベルカインを今は元返ししなければなり
ません。アダムとエバが本来親となり父母とな
るべきでしたが、サタンの誘惑によって失敗し、
霊的に神から離れていったのでこれが霊的殺
人となりました。そして子供の代でアベルとカイ
ンが実体的に殺人事件を起こしてしまいまし
た。人類最初の殺人事件が兄弟から始まりま
した。終末になると同じような現象が起きてき
ます。今日の聖句では、マリヤという女性が姦
淫を犯しました。罪を犯したのを知っているの
で罰せられる覚悟でした。
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ユダヤ人がイエスを試すのです。イエスがその女を赦すと言ったら律法に反するし、
石打の計だと言えばやっぱり普通の人だという。ユダヤ人の動機は如何にイエスを裁く
かということでした。人の善し悪しを考える時、ある人をいいなあと思ったら、その人が悪
いことをしたときは反面教師と思い、いいことをしたらいい人と考える。ある人を悪いと思
ったら、その人がいいことをしたら、傲慢だといい、悪い事だったらやっぱり悪い人だとい
うことになる。私の中に最初から結果がでている。パリサイ人には既に答えが出ていた。
しかしイエスは、「あなたがたの中で罪のないものはこの女を裁くが良い。」といった。
本人の5%に委ねた。年老いたものから順番に問うた。人々は考えた末、何もせず出て
いった。すると誰もいなくなった。「女よ、皆はどこに行った」とイエスは言った。「誰もござ
いません」といった。女は自分が罪を犯したのでどうなってもいいとおもった。イエスが「罰
する人は誰かいるのか」といった時に誰もいなかった。そこに居たイエスも「私もあなたを
罰しない。」と言われたので、誰も罰するものがないということです。罪があったら蕩減する。
そして罰を受ける。その後、赦しとなる。イエス様は罰からすぐ赦しになる。贖罪を飛ばし
て赦すのでユダヤの人から責められる。私は世の光である・・・これを理解したら本来解る
ようになっている。旧約と新約の信仰の転換期を迎えていた。私は世の光である。そういう
権限を持ってきたのがイエス。今真の父母様を迎えて実体的な赦しを得る時代になってい
る。赦しが祝福式祝福である。成約時代は生活の中で実感していく。侍るというのは、楽に
させる、願いを叶えてあげる、寂しくさせない。今、享進様が真のお父様に侍っている。創造
目的は真の父母だからそれを具体的に見せてくださっている。何が一番重要なのか?
終末の時なので我々の姿勢をどのように取るかで決まってくる。謙虚に生き、真の父母
に侍って赦されて、祝福を受けて、み言通りの生活しなければならない。
2011年 6月26日聖日礼拝 三国藤内教会長
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