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2011/11/12 |
神様は知情意をもった人格神 【天聖経】 |
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今日、多くのキリスト教信者たちは、神様は唯一無二のお方であり、絶対的な方で
あり、創造主であり、至高至善の位置にいらっしゃるので、被造人間すなわち被造物
と創造主は関係をもつことができないと考えます。被造物は俗なるものであり、創造
主は絶対的で神聖な方であると見ます。しかし愛の概念を中心として見る時、至高至
善の神様であり、どんなに低俗な被造物だとしても愛の関係を結ぶためには人格的
内容が同じでなければなりません。心情的内容が同じでなければなりません。人格
を備えた人間と性稟が同じでなければならないのです。
神様は、どんな神なのでしょうか。人格的な神です。知情意を合せた内容をもった
人格的な神です。そのような人格的な神が最高に願うのが愛なので、その愛の対象
として私たち人間を造ったというのです。これは驚くべき事実です。
神様は第一原因的存在ですが、人間をどのように造ったのでしょうか。神様と同じ
ように造ったというのです。神様と同じように造るのに、神様の形状をかたどって、形
状どおりに造りました。その言葉は何を意味するかと言えば、私が父に似ると同時に
父は誰に似ましたか。私に似たというのです。それで答えになります。ですから神様
を模索してみるとき、神様はどんな方ですか。私のような方だと言えば、さっと入って
くるのです。
神様は誰に似たのでしょうか。神様の必要とするものが愛ならば、神様が愛するの
に、神様に似たものを愛するでしょうか、神様と似ていない動物の子を愛するでしょう
か。神様は喜ぶことができ、愛を分かち合うことができる相対的なものを必要とするの
です。ですから人間がそのような相対ならば、人間を中心として見る時、神は人格的
神でなければならないという結論が出てくるのです。そうでありながら、人間とはすべ
ての要素が一〇〇パーセント和合しなければなりません。体と心の素性において、
すべてが和合することができる神でなければなりません。ですから神様は、知情意
をもった神でなければならないのです。 |
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2011/7/1 |
無形の神様は体が必要【天聖経】 |
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体をもつためにアダムとエバを創造
神様はどうしてアダムとエバのような形を必要とするのでしょうか。万物は形状的な形をもっていますが、神様は無形の存在です。神様はどのような形ももっていません。大きいと言えば無限大です。小さいと言えば無限に小さい方です。そのような方がどんな標準的な形を形成し、形体を現したとしても実体をもった万物はその神様に直接主管されません。ですから実体をもった被造世界においては、実体をもった主人的人格と形を備えた存在がなければならないのです。神様は地上万物の主管だけではなく、無限な霊界も主管しなければなりません。天使長や様々な形体をもった実体、そして無形の実体までも主管するにはその中心的タイプ、すなわち形状が必要です。それで神様はアダムを創造されたのです。
アダムを中心に霊肉両面の世界、無形実体世界と有形実体世界を主管されようとするのが神様の人間創造の目的です。したがって一つの人格的実体と関係を結ばなければならないので、アダム完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムを造られる時、彼の形態、人相、人格などが無形世界の中心にいらっしゃる神様のような姿にならなければならない、という考えをもってアダムを造り出されたのです。形がなければ形の世界を主管できないのです。
神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。
神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。
霊界に行っても神様を見ることができません。 神様は見えないのです。皆さん、力が見えるでしょうか、力が見えますか。神様はエネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることができません。 体がないのです。ですから実体世界を指導して主管するためには実体をもたなければならないのです。神様はどのような神様ですか。アダムが堕落しないで完成して地上で暮らし、天上に行くようになれば、アダムの形状をもった神様になるのです。それで見えない神様と見えるアダムが一つになるのです。そのようになればアダムが「ははは」と笑うのは神様が「ははは」と笑うことになるので、それはすなわち宇宙が「ははは」と笑うことだというのです。何のことか分かりましたか。
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2011/5/1 |
愛の実際 神様の愛 愛は神様から始まる 【天聖経】 |
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神様に知識は必要ありません。神様は知識を創造した方です。神様に権力は必要ありません。全知全能だというのです。神様にお金は必要ありません。
ダイヤモンドや黄金も思うままに造ることができます。神様に必要なものは、たった一つです。
それが何かと言えば、愛です。神様一人で愛を受けることができますか。
神様は愛を思うままにできるのではないかと言うかもしれませんが、とんでもありません。
神様において一番必要なものとは、真の愛を分かつことのできる対象者だというのです。
人々はこれを知りませんでした。 神様は私達に愛を与える時、限りなく与えようとします。
神様は全て与えても、「お前の中で生きたい」と言われます。
そのようになる本質は、愛にあります。神様も愛の中に入れば、僕の暮らしをしてもいいと
言うのです。愛は法を超越します。神様の愛は、どのような味がするのでしょうか。
すべてのものを総合した最高の味です。好きでつかめば果てしなくつかむことができ、開け
ば果てしなく開け得る力をもっています。ですから愛によればいくらでも満たすこと
ができ、どこでも及ぶことができるというのです。
神様は愛の母体です。ここから父母の愛がわき出たし、夫婦の愛がわき出たし、子女の
愛がわき出た、親戚の愛、民族の愛がわき出ました。
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2011/3/1 |
すべての存在は愛を通じてのみ完成する 【祝福家庭と理想天国 I 】 |
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個体完成とは、心と体が本来神様がつくられた愛の型に従って、完全に一つとなった中で成長し成熟するように、授受作用を永続させていくことを言います。愛を中心にして出発し、愛を中心に成熟し、その上に愛の芽が出、実を結んでこそ完成するのです。このように愛の基台が立つようになれば、その中に神様は愛の因縁をもって臨在されるのです。愛が成熟しなければ、実を結ぶことのできる型を造成できないのです。
すべての被造物は愛の法度によって創造され、また存在しているのです。植物を見ても花が咲けば、花の中のおしべとめしべが授受作用、すなわち循環運動をすることによって実を結ぶようになるのです。動物世界もそうだし、人間世界も愛の循環運動によって存在しているのです。このようにすべての被造物は愛の関係を経て完成するようになっています。すべての存在は愛を通してのみ完成できるといえます。
人間は神様の愛の核と一致する位置に立ったとき、体と心が一体となるようになるのであり、神様の愛の圏内に、体と心を一体化させて入っていくようになれば、成熟した人間となるのです。そのとき初めて、堕落しない本然の人間として、個人完成が始まるようになります。
(祝福家庭と理想天国I−三一四)
心と体において心は天を中心とし、体は世の中を中心とするのですが、この心と体が一つになったというとき、その理念はどういう理念だといいますか。天宙主義理念だといいます。天宙主義理念が何だか分かりますか。天と地、すなわち無形世界と有形世界が一体となる立場をつくっていこうという主義が天宙主義です。 この天宙を支配しようとすれば、支配しようとする人は心と体が一体とならなくていいですか。一体とならなくてはここで滅びます。そして神様を中心にして心と体が一体となるとき、神様は内的な神様で自分は外的な神様になるのです。ところで何を中心にして一つになるかといえば愛を中心として一つになるのです。
(祝福家庭と理想天国I−三一四)
アダムは神様と一つにならなければなりません。これを結合させるのは愛です。存在世界の平面的な代表者は人間であり、立体的な代表者は神様です。これを永遠に結合させる中心点がまさに愛という絆です。
肉体をもつ人間が神様と一体となるとき、その心情と感情は無限なる体恤境と幸福感に酔うようになります。結局、愛によって神様と人間は一つになるのです。愛によって人間と世界が一つになり、神様の創造目的、理想世界の実現は愛から出発するのです。
アダムとエバは、十六、十七、十八歳になれば自然と思春期になり、異性に目が開くようになります。花が一面に咲くとき、人がその香りに酔うように、アダムとエバが成熟すれば異性を考えるようになります。この香りに神様も一緒に引き込まれていくのです。神様の愛とアダムとエバの体と心、この三つが一つになれば宇宙の核が生じて、すべての愛をコントロールする本軌道に入ることができるようになります。
ところがここで脱線しました。脱線しなかったならば完全に一つになったでしょう。このように一つになったなら、神様も離れられず、アダムとエバも離れられなかったはずです。そして子々孫々に連結され、氏族、民族、世界を形成したことでしょう。ここが素晴らしい世界、地上天国になるのです。
(祝福家庭と理想天国I−三一二) |
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2010/11/10 |
蕩減条件は自分が立てなければならない 【天聖経P1310】 |
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他の人が代わりに立てる事ができない。
蕩減条件は自分が立てなければなりません。他の人が代わりに立てる事が
できるものではありません。堕落は主管権を失ったことを意味します。
復帰のためには他の人がどんな干渉をしたとしても、自分自身の確固とし
た主体性をもって進まなければなりません。他の人がどんな道を行こうと、
私の行く道は忙しいのです。前でどんな言葉を言ったとしても、そこに気を
遣ういとまもありません。夜寝る時間もありません。落ち着いてゆったり座
って御飯を食べる余裕はありません。そのような切迫した心情をもたずして
は復帰の道を行くことはできません。
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2010/9/28 |
祝福家庭の責任 【天聖経p1370】 |
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「私は祝福を受けたからもういいだろう! じっとしていても天国だ」とそのように座
っていれば、めちゃめちゃになるのです。祝福を受けたことが完成段階ではありません。
皆さん、七年路程を習ったでしょう。このような複雑な内容を知って、合わせてくれる
人がいないので、全能なる神様も仕方なく引っ張られてくるのです。皆さんが祝福を受
ける時、「私たちは神様の原理原則に従って祝福を受けた。きょうから一つになった」と
言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりません。(68−148)
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2010/9/20 |
責任分担の発見とその重要性【天聖経p1216】 |
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責任分担という言葉はこの世ではあまり使わない言葉です。しかし統一教会では、
どんな言葉よりも特別に重要視する単語です。統一教会において、この責任分担と蕩
減という言葉、責任分担と蕩減復帰、この二つを知らなければ歴史的なすべての内容
を悟ることができず、間違った歴史、あるいは歴史の未知の事実を解決できません。
そのような重要な言葉です。 責任分担ということを今まで知らなかったので、歴
史の曲折を知りませんでした。なぜ善なる人たちがみな犠牲になり、悪なる人たちがう
まくいくのですか。歴史を見ると、独裁者がなぜこの世を支配し、善なる王が出てきても
平和の世界をつくることができなかったのでしょうか。歴史を調べてみると、独裁者の世
界統一の夢だけが記録されているのです。 それはサタン世界だからです。責任分
担圏を侵犯されたので、それ以下のすべての被造物、それ以下の人間全体、地上世
界の万民、以前に来ては逝ったすべての霊界にいる先祖たちまで見ても、責任分担完
成圏を越えた人は一人もいないというのです。それが原理です。文先生が適当にもっ
てきて付けたのではありません。この責任分担という言葉が分からなければ、歴史が
解けません。歴史の曲折を解決することができません。なぜ戦争史ですか。責任分担
という善の条件が悪なる世界の条件を克服しなければならない立場にあるので、堕落し
て、サタン世界になり、落ちたものを覆す闘いをしなければなりません。ですから歴史
は善悪の闘争史なのです。 (137−266) |
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2010/8/26 |
十分の一献金を捧げる法【天聖経p1121】 |
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公金に対して厳しくなければなりません。十分の一献金は徹底しなければなりません。自分の総収入から十分の一の献金を必ず神様の前に捧げなければなりません。
十分の一献金は、所有している物質中の十分の一を神様に捧げることにより全体を捧げるという意味をもっています。父に全体を捧げるのではありませんが、その中の十分の一を精誠を込めて捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱い得るようになります。このように十分の一献金を捧げて生活する人は、絶対滅ぶことがありません。日がたてばたつほど、倉庫がいっぱいになっていくのです。
精誠を込めて十分の一献金をしてみなさい。絶対に飢え死にしません。その子孫は物質に対して窮乏しないのが原則です。十分の一献金を捧げるために精誠を込めなさい。それが信仰の本質です。適当にすればいいだろうと、それは通じません。祭物は、自分の生命の代わりに捧げるのです。それで、一番貴重な物を捧げるのです。(63-338) |
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2010/7/12 |
真の血統の根は神様【天聖経p1829】
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人間が堕落していなければ、神様は内的な父と母になり、アダムとエバは外的な父と母になります。内的な父母の息子、娘として愛の種を受けて生まれた人間になるはずだったのですが、悪魔の愛を中心として堕落することによって、悪魔の血筋を受け継ぎ、悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血筋を受けた人間になりました。
神様は、見えない内的なアダムの位置にいらっしゃり、また見えない内的なエバの位置にいらっしゃいます。アダムは、人類の前において、内的なお父様に侍る実体の父として立とうというのであり、またエバは、内的な母の神様に侍る実体の母として立とうというのです。このようにして縦的な基準から横的基盤へ拡大させようというのです。 |
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2010/3/3 |
創造理想は家庭完成によってなされる
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人間祖先を通じた神様の理想は、男性と女性が結合して理想
的な家庭を築くことでした。そうなれば、理想的な家庭の中心は
男性でもなく女性でもありません。
家庭というのは父母と子女、夫婦の結合からなる一つのまとま
りなのですが、その結ばれた中心がすなわち神様の愛です。
神様の愛を中心として家庭を完成する事が神様のみ旨である、
という結論が出てきます。 |
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2010/1/13 |
天国はどこに出来るか? 【天聖経p444】
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天国はどこででき上がるのでしょうか?
私たちの家庭からでき上がるのです。
それならば私たちは、何主義でしょうか?
家庭主義です。
私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に
「宙」の文字、すなわち天の家主義というのです。
このようになれば、天宙という意味が明確になる
のです。(26−102) |
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2009/12/13 |
父母は友達よりも近く 【天聖経p1160】 |
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父母は子供のためにいます。もし父母のために父母がいるとすれば、
「父母」という言葉は出てきません。
これから統一教会の原理を中心として倫理観が形成されなければなりません。父母はどうあるべきですか?
子供を生んだ父母は子供のためにいなければなりません。
それが倫理の第一条です。それは説明する必要はありません。
息子の為にいようとするのは不幸な立場ではなく、幸福な立場です。
(141−19) |
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2009/11/29 |
真のお父様の説教 【天聖経p1119】 |
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先生は説教のために祈祷する時間よりも,食口のために祈祷する時間を多く持ちます。
「父よ!この者たちを引き上げなければならないのですが、どうすればよいのですか?
これですか?あれですか?」と、精誠をつくしてから心の命ずるままに説教します。
(9−80)
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2009/11/22 |
絶対に必要な真の愛 【天聖経p648】 |
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神様は霊界のどこにいらっしゃるでしょうか? 絶対的な中心、愛の中心にいらっしゃいます。 その愛は、真の愛であり、直短距離を通じます。 皆さんは第一に、神様を知らなければならず、 第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。
100%以上投入します。100%以上投入する所に永生があります。真の愛を持たなくては永生がありません。永生しない人は、神様に逢う事ができません。
(205−129 |
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2009/11/10 |
限りない父母の愛 【天聖経p555】 |
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私たちが愛というものを中心として見る時、父母の子女に向かう愛の限界点はどこまでなのでしょうか?
父母は子女が幼い時だけ愛そうとするのではなく、生涯を通じて、さらには永遠を通じて愛そうとするのです。
愛する事によって生きがいを感じる事ができ、愛することによってさらに価値を感じられる親子の関係が結ばれるなら、無限の力と無限の刺激と無限に新しい何かがその関係圏内から生じるというのです。
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