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 今週の礼拝
 「艱難の時を用意された意味」1961年2月12日み言   2010年10月31日 
  この艱難の時期は6000年の歴史路程において、
天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆
がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時
です。自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、
その良心で自らの生涯を主張できない時です。み旨
を抱き、考えのある者であればあるほど、眺めるあち
こちに苦痛を感じる時です。  そのような時が、終わ
りの日の7年大艱難の時です。主義はもちろん、宗
教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。
  それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参し
たという価値を与えるためです。

    終わりに日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることの出来ない環境にぶつか
るようにするのです。「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るという
のです。それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむこ
となく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が
変わり果てたと悲しまないで下さい。頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然とし
ていなければなりません。神様が私達に苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因
縁を私達に結んで下さるための、大きな約束であることを知らなければなりません。神様は必ず訪ねてこら
れます。すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないで下さい。天を頼って仰ぐ希望の
心だけは変わらないで下さい。その場で天父を呼ぶことが出来る心を持たなければなりません。地獄に堕ち
る苦痛を感じる恨があったとしても、天父と共に参与する立場に立って天父の苦痛を私が思いやって、その
天父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さ
んは滅びないでしょう。死亡の波打つ中で真の息子、娘を捜すためにご苦労される天父に侍らなければなり
ません。どのような塗炭の苦しみと艱難の難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事
情の実体であり、心情の実体です」と自信を持って立たなければなりません。このような者であってこそ天父
の息子であり、またその天父に侍ることが出来る者になると言うことを皆さんは知らなければなりません。一
世一代の艱難の大転換期が、今の時代です。息子が父を否定する、恐ろしい時代が来たので、しっかりと目
を覚まして生きなければなりません。み言通りに生きなければなりません。このことを肝に銘じて下さい。

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